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勉強レベル4

同恥の中興!?

【質問の答えについて】

この質問の答えは質問の本文に記載されています。

清で、同治帝の時代を同治の中興と言いますが、この期間は一時的に清が安定していたと参考書にかかれているのですが、しかしこの時代では西太后の独裁や軍閥が形成されていて、あまりにも安定しているとは言えないと思います。

同治の中興は、本当に安定していたのでしょうか?
1回答一覧

他の時期と比べてマシだった、という意味あいなのかなと思います。それほどこの時代の清は内憂外患の波乱続きでした。

50年代に始まった太平天国の乱(内憂)とアロー戦争(外患)がおさまり、国内を立て直す時間的余裕が生まれました。そして、同治帝の時期になってそのお母さんである西太后が摂政となったことで、権力争いがおさまりました。

そこで、太平天国の乱の最中から行われていた洋務運動が加速しました。権力を握った西太后が洋務運動を支持したのです。

洋務運動は富国強兵政策なので、国から出た予算を使って軍需産業が作られたり、李鴻章によって海軍が創設されたりしました。ただ広い中国大陸において日本ほどまとまることができず、軍閥になっていきます。

というわけで同治中興の時期(1860年代〜90年代前半)は清国の政治がまあまあ安定していて、西太后の存在もプラスに作用していました。

(が、その後、清仏戦争・日清戦争に負けて変法運動が起こるようになると、西太后は国を乱す張本人となります。光緒帝らが進めようとしたこの運動をつぶしにかかったのです。それが戊戌の政変というクーデターです。なぜそんなことしたかというと、「立憲君主制」とは「皇帝よりも上に憲法が存在する政治制度」であり、同治帝のお母さんである西太后は、そんなものはけしからん、と考えたのです。)

kuro オンライン指導/ 1週間前
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kuro
さんは個人家庭教師をしています

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